2000-04-27 第147回国会 衆議院 憲法調査会 第8号
昭和二十三年の末ごろから半年ほど、私は当時の大阪逓信局の渉外室長という仕事についておりました。米軍の通信検閲に協力させられた、こういう経験があるわけでありますが、信書の事前検閲、この第一位は、当時、神社の宮司さんあての信書、こういうこともありました。とにかく通信検閲というような問題は、「検閲は、これをしてはならない。」
昭和二十三年の末ごろから半年ほど、私は当時の大阪逓信局の渉外室長という仕事についておりました。米軍の通信検閲に協力させられた、こういう経験があるわけでありますが、信書の事前検閲、この第一位は、当時、神社の宮司さんあての信書、こういうこともありました。とにかく通信検閲というような問題は、「検閲は、これをしてはならない。」
一部はできあがった分から、オートバイで東京逓信局の係にとどける。」逓信局の係から各関係官庁に回す、そこでいろいろチェックを受けまして、誤りがあれば訂正するのは当然ですが、「都合が悪ければ、放送停止の命令が出る。」というふうな時代であったわけですね。 非常に反省的にこういうことも言われております。
○原(茂)委員 いま一つ東京逓信局の事例をあげられたのですが、これも私は、その後の事態のいろいろな推移、いろいろな事件の起きた内容からいって、当然懲戒の処分を要求しなければいけない事例がたくさんあるのじゃないかと思うのです。
院法の規定に基づきまして懲戒処分の要求をした前例は、昭和二十四年に東京逓信局関係者につきまして懲戒処分の要求をいたしたことがございます。
そして二十年に広島逓信局の電信電話局のおとうさんの仕事を手伝っておる。そして専売局の構内の電信電話局の倉庫内で仕事をしておるときにこの人は被爆をされているのです。もちろん家族も全員被爆されている。そして二十六年に外国人登録令違反に問われて大村の収容所から帰っていった。帰っていって釜山の第一病院で彼は原爆症にかかったという診断をちゃんともらっているのです。白血球減少という診断をもらっているのです。
しかし、こういうふうな経験は、私は、けさちょっと「続逓信事業史」というのを見せてもらいまして、これを、さらっと読んでみますと、募集については、それぞれの郵政局——昔の逓信局ですね。段階で苦労をされ、あるいはまた、事業所でくふうされ、そういうものがまた、あるときには、全国的な画一的な事業として、本省もやりというようなことを、繰り返されてきていると思います。
そういう問題で戦争犠牲者を見てみますと、長崎は原爆が落ちました直接下に逓信局とかあるいは電報電話局とか国鉄とかそういうようなまとまった政府の官庁はなかったわけです。広島の場合はそれがあったわけです。それで焼夷弾の場合はわりあいにそういう被害が少ないわけですが、広島では爆心地に近いところで電報電話局や逓信局がありまして、殉職者が出たわけであります。
これはあらかじめ御承知だと思うのですが、広島あるいは長崎の原子爆弾で、特にこれは広島の場合ですが、原爆が落ちました中心地域に電報電話局が広島においてはあったものですから、あるいは逓信局もございまして、山口という逓信局長は赤い自転車に乗って通勤の途上で殉職をされたということがあるわけですから、そういうことでたくさんの犠牲者が出たわけです。
問題は、昭和二十年八月六日あるいは九日に広島、長崎に原爆が落ちたときに、広島の中央電話局やあるいは逓信局等を中心に、当時は逓信省として電電公社も一緒でしたが、そこで犠牲者となった人のうち放置をされておる人がおるのは、法的にも、あるいは事実上も不公平じゃないかという議論をし、いろいろと資料を集めて研究をいたしたわけであります。
これが集中的にあらわれたのが広島とか長崎、特に広島は、ちょうど電話局あるいは逓信局のある、そういう仕事場がある真上でそういう事態が起きたものですから、非常にここで残っているわけです。
この長い歴史を見たときに、郵政省には戦前は郵政局しかなかった、逓信局と称しておった。それが監察業務を重視して、同格の郵政監察局がちょうど郵政局と同じほど全国に九つほどできた。
○大原分科員 ただ広島でいえば、逓信局は白島町にあるわけです。逓信局長は白島町へ行っている途中で赤い自転車で倒れて死んでおったというわけです。電信電話局は中心部にあるわけです。爆心地に近いところにあるわけです。だからたくさん死ぬのは当然です。しかしこれは雇員でも判任官でもそうですか、通勤途上の人は殉職に該当すべきだと思う。逓信局は駅とは違う。駅の前は全部焼けたのだから…。国鉄関係もあるのです。
これはもうだいぶ前の話ですが、わが党の知事だったときですが、この北海道の総合開発の問題について当時の逓信局——それから、あるいはいまの郵政局長あるいは通信局長、こういうのは大体そういうメンバーにすら入っていなかった。私は知事にも進言をして、その後郵政局長やそういうのを入れました、通信局長は入っておりましたけれども。
札幌逓信局勤務の者が樺太に転任しました。樺太から引き揚げるときに、札幌に帰るべき適当なところがなくて、稚内でもいいから稚内に勤務さしてくれという希望があったというぐあいに聞きました。
八項目のうちの、先ほど私が三項目と申し上げたのは、第2項目の(1)が逓信局関係、(2)、(3)をお話しをしたのですが、大きい第3項目と第4項目を一ぺんにお尋ねしておきたいのです。これは外務大臣になりますか、大蔵大臣になりますか……。「一九四五年八月九日以後韓国から振替又は送金された金員の返還を請求する。本項の一部は下記の事項を含む。
(1)逓信局関係(a)郵便貯金、振替貯金、為替貯金等。(b)国債及び貯蓄債券等。(c)朝鮮簡易生命保険及び郵便年金関係。(d)海外為替貯金及び債券。(e)太平洋米国防軍総司令部布告第三号によって凍結された韓国受取金。(f)その他。」これは大体総計幾らになっているのでしたか。
このことにつきましては、すでに当時小沢郵政大臣からも、逓信局関係については全部積算が終わっています。当時の大橋労働大臣からは、未払い賃金その他については全部供託を終えています。この八項目につきましては、全部私のほうでは積算を終えています。こういうことであります。これは、委員会で非常に問題になりまして、最後に、理事会でこういうようになっているのです。
たとえば、当時の小澤郵政大臣は、逓信局関係として、(a)郵便貯金、振替貯金、為替貯金等、(b)国債及び貯蓄債券等、(c)朝鮮簡易生命保険及び郵便年金関係、(d)海外為替貯金及び債券、(e)太平洋米国陸軍総司命部布告第三号によりて凍結された韓国受取金、これはどうかわかりませんが、こういう問題については私のほうで全部資料が整っています。こういうようにお話をされているのであります。
○横川正市君 鹿児島逓信病院の新設というのは、従来の一逓信局一逓信病院という考え方はこれは修正して、やはり必要と、それから資金の許す限りは、一カ所でも二カ所でもというふうに考えていいですか、増強は。
しかも、ここで今数字がないというならばともかく、郵政大臣がこの八項目の中の第二項の逓信局関係の(a)(b)(c)(d)の四項目については、数字はあるけれども、交渉のいろいろな内容にわたるから出せないと言う。こんなばかな話はない。これは、委員長、どうしても出してもらわなければだめですよ。
(1)逓信局関係(a)郵便貯金、振替貯金、為替貯金等(b)国債及び貯蓄債券等(e)朝鮮簡易生命保険及び郵便年金関係(d)海外為替貯金及び債券」、これは日本の試算によると幾らになったのですか、外務大臣。
二つには日本政府が朝鮮に対して負うておる債務というものが掲げられてあるようでありまして、これにはたとえば逓信局関係の問題であるとか、その他いろいろ各項目があるようであります。
秋山君は、昭和三年三月大学卒業後、逓信省に入り、東京逓信局規画課長、簡易保険局積立金運用課長、大臣官房文書課長等を歴任し、興亜院調査官、陸軍司政官を経て、同十九年二月運輸通信省に入り、企画局第四課長、北海海運局長、運輸大臣官房長、海運総局海運局長、海運総局長官を歴任し、同二十四年六月運輸事務次官となり、同二十七年一月退官して今日に至ったものでありまして、現に日本空港ビルディング株式会社取締役社長及び
次に現在連合国軍に接収されております庁舎の返還問題につきましては、従来ともその早期実現に努力いたして参ったのでありますが、前国会の当委員会におきまして、これに関する御決議をいただきますとともに格段の御配慮を賜わりましたおかげをもちまして、旧名古屋逓信局庁舎につきましては、昨年十二月五日、日米合同委員会施設特別委員会米側代表から同特別委員会あてに、不測の事態が発生しない限り、おそくとも本年十一月末日までに
次に、現在連合国軍に接収されております庁舎の返還問題につきましては、従来ともその早期実現に努力いたして参ったのでありますが、前国会の当委員会におきまして、これに関する御決議をいただきますとともに格段の御配慮を賜わりましたおかげをもちまして、旧名古屋逓信局庁舎につきましては、昨年十二月五日、日米合同委員会施設特別委員会米側代表から同特別委員会あてに、不測の事態が発生しない限り、おそくとも本年十一月末日